“受け継がれる意志”“時代のうねり”“人の夢”
これらは止めることのできないものだ
人々が自由の答えを求める限りそれらは決して――止まらない




というのは有名な漫画のロマンあふれる語り文句なのであるが、 なぜこんな旅行をするのかと言われるとそこにロマンがあるからである。 自転車で世界一周というのは自転車乗りの、旅行者のロマンなのだ。 宗教と言ってもいいかもしれない。僕にとっての宗教はいつの間にか自転車で世界を走ることになっていた。



昔から一人で海外旅行していたが、何回か回数を重ねるうちに「こんなもんか」と思い始めていた。 もちろんわくわくするんだけども、バスで世界遺産を見に行くような旅行は僕にとって冒険ではなくなってしまっていた。 それは社会生活も同じで、何年か忙しく働いていたら「まあこんなもんか」というラインができていた。 目の前の忙しさをずっと追っていると他の何もかもが半端になり、出世しても面白くなさそうな気になっていた。 まあ人生そんなもんかとも思っていた。


そんな頃に自転車で世界を走ってまわる旅行者がいる事を知った。 そのときはずっと忙しかったので海外旅行からはしばらく遠ざかっていて、しかし他に趣味と言えるものも少ないし、 今の仕事が片付いたらせいぜい2週間くらいインドでも回れば少しは人生面白くなるかなとか考えていた頃だった。



仕事が延びて休みも延びたので、その間に自分もスケールは小さいが同じようなことをすべく準備した。 行き先はアフリカに決めた。年とってから行けなさそうだし、ぬるま湯のような旅行はしたくなかった。 観光地らしいものはほとんどなかったが、自分が全力でぶつかれるだけの困難さ、 越えた先に何かが変わるんじゃないかというようなものがアフリカにはあるように思えた。 それまでの目の前の仕事とか人間関係も全力でやっていたからこそ疲弊していたのだけど、 はっきり言ってその時は、今進んでいる道の先にそういう熱いロマンを感じていなかったのだ。




その後、ロードバイクを買って一人で東日本を走り回った。レースにも出た。山もたまに登ったかな。 昔住んでた家とか思い出の場所とか、子供の頃に行った東北の旅行先とかへも行った。 体中の力を振り絞って行きたい場所にたどり着くというのは、 不毛な仕事とか漠然とした夢とかにはないリアルな手ごたえと達成感があって、 走っている間はいつも最近の出来事とか昔の事とか、いいことも悪いことも思い返していた。 自転車で遠くまで走るたびに自分の中のもやもやしたものが晴れて、疲れがとれていく気がした。 苦しいことを考えていても必ず意思力が全開になって、 いつの間にかたまっていた頭の目詰まりが洗い流されるように思えた。ボロボロの自分を救ったのは自転車と旅だ。


そんなことをしていたら、いつかそのうち自転車で世界を走ろうとか漠然と考えていた。 毎月の貯金額を増やしたりはしなかったけど、ざっとプランとかルートを考えたら、 あとは中学生が高校生になるように、自然にそういう日が来るような気がした (だから夢を実現とか、そういう感覚は今でもあまりない)。 じゃあいつかそのうち会社を辞めるのか? 誰かに話しても理解してもらえそうもないので自転車が趣味ですとか言ってへらへらしていたが、 しかしこの頃は物事に対する自分の考えとかスタンスがだんだん固まっていって充実していたと思う。



ある日会社から早期退職の募集告知があった。 退職金の額は世間的には多いものでないかもしれないけど、 少なくとも自分があと1〜2年かけて貯金するよりも多くて、にわかに世界旅行が現実味を帯びた。 今ある生活とか、日常の風景が急に鮮やかに見えてきて、このときたぶんもう気持ちは決まってしまっていたんだと思う。 今後の人生が二又に分かれて見えて、今までの人生や生活がどんなものだったかが走馬灯のように頭を巡った。 捨てなきゃならないものとかも。何かを選べばそういうものも出てくる。


「いつかそのうち」は突然訪れて、生活の風景がまるで見続けてきたアニメの最終話のオープニングみたいに感慨深いものになった。 まだ日本でこの生活を続けていたかったけど、「いつかそのうち」は今このタイミングなんだと思った。 迷ったところで結論は変わらない確信があった。この日を境に自分の人生がぐらりと傾くのを感じた。

なぜ自転車で世界を走りたいのか。そこにはロマンがあるからだ。 今まで自分が前に進んだとき、いつもはっきりとした意思と納得があったように思う。 いいことばかりでもなかったし、迷って後悔も抱えて来たけど、曖昧な意思じゃ曖昧な納得しか得られないのは確かな気がする。 もう26歳だけど、何かをやり残したまま年をとるにはまだ早い。まだロマンを追う時間はある。 進める時に道があるなら思い切って進んでみようと思う。



自分と同じ世代の人や自分と同じ世代にいた人は何をめざして生きたのだろうとよく考えた。 仕事だったり、結婚だったり、スポーツや勉強だったり、めざす道は人それぞれだ。よくわからずに手探りで生きている人もいる。 今の自分はこれなんではないか。あんまり一般的じゃないから変人扱いされるけど。 それでもこのために人生の一部を賭けても惜しくないと、いつの間にかそう思えるところまで来てしまった。
この道にはいろんな出会いや発見があって、進むも立ち止まるも全て自分次第だ。 バスや電車にはない、自転車だから見える景色、人々の生活、そして味わえる自由と達成感がある。 世界を自転車で走るというのは自分の確かな意思だ。一周したその先に日本での人生が続いてる。 人はロマンの奴隷だ。旅行者として、自転車乗りとして最高の時代が始まるならそんな人生もいいんではないか。 過去に走った何人もの自転車乗りと同じように今の自分なら走れる。やろう。人生はまだこんなに熱くなれる。

2009年6月




inserted by FC2 system