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扇風機はおろか水枕すらないので嫌な汗が止まらない。
シーツも枕もないので、持っていたタオルを枕がわりにして、眠ることもできずひたすら耐える。
旅の途中、普段は「アフリカにいるなあ」と感じているのだけど、ぼろい病院の一室で目を閉じていると日本のことが頭にうかぶ。
日本での普通の生活とか、自分のまわりを取り巻いている人の声や気配とかがはっきりと頭にうかぶ。
でもそういうものはなんだか現実味がない夢の中の存在のような、不思議な感じだ。
日本にいるとき、アフリカの情景が現実味のないように。

隣のベッドに寝ていた男の元に、若い女性がお見舞いに来た様子だった。
二人が僕の方を珍しそうに観察している気配があったけど、とても構う余裕はなかった。

少し余裕が出てきてから、隣の男と目を合わせた。
「あちーな。めっちゃあついわ」
日本語で笑いかけると隣の男も笑った。

女性が立ち去ったあと、男が差し入れられたレモンをかじっていた。
食うか?という感じで突き出してきた。アフリカのガイドブックには「生の果物は危険なので食べないように」とさんざん書かれていたが無視して食べた。




夕方、目が覚めると思ったより調子がいい。意識もはっきりしている。
熱を測った……36.5℃。
元気が戻ってきた。異常なほどの高熱は出なかったので、どうやらマラリアじゃなかったみたいだ。心底ホッとした。
食欲はわかなかったけど、朝からほとんど何も食べてないので何か買ってきて食べたほうがよさそうだ。まだ店がやっているうちに水も買っておかねば。
出かけようとすると隣の男がベッドにあおむけに倒れてつらそうにうめいていた。
「なんか必要なものはある?ちょっと出かけてくるけど、買ってくるよ?」
僕のカタコトの英語が通じて、男はつらそうにクリスプとソボ、と答えた。
クリスプはそこらへんの雑貨屋で売っている安いスナック菓子だ。ソボってのは何だ?と聞くと枕元にあったオレンジジュースを指した。SOBOと書いてある。
「オーケー、すぐ買ってくるよ」





夜、病室の男マックリンの友人と嫁がやってきた。彼らとはいろいろな世間話をした。
どこから来たのか。どこまで行くのか。仕事は何をしてるのか。日本の宗教は何なのか。
日本の大統領は。大統領の年齢は。みんな車を持って豊かな生活をしているのか。おまえの持ってるそれは何の機械だ。
日本の蚊はマラリアを持っていないのか。飛行機のお金はいくらかかったのか。話すネタは尽きない。

会話はぜんぶ英語だ。知らない単語は手持ちの電子辞書でぴこぴこ調べ、その単語はよくわからんと言えば(伝えれば)相手は身振り手振りをまじえたり、別の表現で伝えてくれる。
一種の会話ゲームのようなやりとりだ。

日本の阿部首相が50歳くらいと言ったらひどく驚かれた。
「ワオ…とても高齢だな」
マラウイは病気や貧困の影響で平均寿命は約40歳である(実際には子供がたくさん死んでいるので60歳くらいの人もいるが)。
よくユニセフ募金のPVで映っているようなやせこけた人はいないし、浮浪者のような人もまったくいない。
しかし、やはりこの国は発展途上で、衛生や医療のインフラもロクに整っていないのだと実感する。

日本の平均寿命が80歳くらいと言ったらものすごい驚かれた。
「日本人は清潔で、健康が好きなんだ。だから長生きするんだ」
ほー、と感心している。
僕は思い切って聞きづらい質問をしてみた。
「なぜマラウイ人は掃除をしないのか。清潔が好きではないのか」
マラウイに限らず、発展途上な国は不衛生である。
最初は貧困だからとか、いろいろな設備が整っていないからだと思っていたけど、平気でゴミを道端や部屋内に捨てるし、走っている車は掃除をした気配がほとんど見られない。
マックリンは答えた。
「掃除をしたって金はもらえないだろ?マラウイ人は農業をやるから土にまみれてるんだ」
「日本人も農業はしている。でも農業のあとには身体を洗う。キレイが好きだからだ。マラウイ人はキレイなのは好きじゃないのか」

「…俺らは好きじゃないなァ」

いろいろと考えさせられる会話だった。
いくら先進国の援助を受けても不衛生は病気を生むし、貧困につながる。
日本なら当たり前の清潔や健康、マナーとか、そういったものがこの国にはまだない。
学校はあってもそういったことを人々の意識に敷衍させるのは時間がかかるのだろう。
ゴミは捨てるし、家々は技術以前にずさんに造られているし、病院で掃除をする人もモップでさっと床を流すだけだ。
ここではそれが当たり前の世界なのだった。発展途上の国は果たして発展できるのか、考えさせられる一晩だった。

僕はレモンの皮を袋にまとめたが、翌朝、マックリンは、自分の食べたレモンの皮を病室の床の割れ目に捨てた。
この国ではゴミ焼却のインフラなんてないのである。




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